羽生結弦がオーサーコーチを選んだ理由とは?エリック・ボンパール杯のYouTube翻訳動画 [羽生結弦 YouTube 翻訳]
2012年、羽生結弦選手は、キム・ヨナ選手といった数々のトップフィギュアスケーターを生み出したブライアン・オーサーコーチの門を叩きます。
それは羽生選手のスケート人生を大きく変える転機でした。
同年の世界選手権で銅メダルを獲得した羽生選手は考えていました。
「スケートは、もう自分だけのものではなくなってしまった」と。
それは、17歳にして世界の仲間入りを果たし、さらに上が期待される立場になってしまった羽生少年の決断でした。
羽生選手は、以前から海外に行くのならばオーサーコーチのいるカナダのトロントだと決めていたそう。
それだけオーサーコーチには魅力がありました。
オーサーコーチの所属する「クリケット・クラブ」には、選手を各方面から指導するため複数のコーチがいます。
スケーティングや振り付け、それらを専門的に扱うコーチの存在と、なにより2種の4回転ジャンプを跳べるハビエル・フェルナンデス選手がいたからです。
「僕はライバルと競い合わないとダメなタイプなんです」と話す羽生選手。
彼をカナダに連れてきたのは、この想いだったと言います。
念願叶ってオーサーコーチに師事するようになって、羽生選手は早く4回転サルコウを教えて欲しいとうずうずしていた模様。
しかし期待とは裏腹に、毎日毎日基礎的なスケーティングの練習ばかりが続きます。
ところが羽生選手は、「世界選手権銅メダリストの自分が、誰よりもスケーティングが下手くそじゃないか!」と思ったそう。
「自分って、こんなにスケートができなかったんだ!」と、自らの弱点・欠点を発見したところが嬉しかったのだといいます。
課題を見つけ、ひとつひとつ克服していくタイプの羽生選手には、最高の発見だったのかもしれません。
そして2014年。
羽生選手は、このリンクの生徒として、世界一へと羽ばたいていくことになります。
↑オーサーコーチについておよそ1年後のエリック・ボンパール杯のYouTube翻訳動画。パワーアップした「パリの散歩道」が見られます。
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