浅田真央も羽生結弦も滑った!ショパンの旋律に乗せたアイスショー新潟の動画 [羽生結弦 動画 アイスショー新潟]
ショーの合間の一コマ。織田信成さんのツイッターより。
いつもテレビで見るだけの世界のトップフィギュアスケーターたちが、日本でアイスショーを行うことがあります。
昨年7月に新潟で開催されたファンタジーオンアイスには、羽生結弦選手や高橋大輔選手をはじめ、羽生選手と同じオーサーコーチに師事するとハビエル・フェルナンデス選手、羽生選手の衣装を手がけるジョニー・ウィアーさん、さらにあのフィリップ・キャンデロロさんといった豪華なメンバーが一同に集まりました。
新潟で開催されるのは2011年以来3年ぶり。
2日間の公演は、およそ1万人の観客でいっぱいになったそうです。
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羽生選手はこの公演で、ショパンの「バラード第一番」を滑りました。
この曲は、過去に浅田真央選手も滑ったことがあるので、覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
静かに流れるピアノの旋律と、滑らかな羽生選手のスケートが絶妙に合わさり、
演技にクラシックを採用することの多い羽生選手ですから、羽生選手の持つ王子様的な雰囲気とマッチして、浅田選手とはまた違った美しさをかもし出しているように思います。
暗闇に浮かび上がる鮮やかなライティングも、また一層羽生選手を幻想的に映し出します。
まるで会場全体を羽生選手の世界で包み込んでいるようです。
競技に挑戦する羽生選手も良いですが、アイスショーでしか味わえない、楽しく美しいショーも魅力的ですね。
↑アイスショー新潟のドリームオンアイス2014のショパン「バラード第一番」。動画の音源は会場のものとは別に合わせているため、じっくりと音楽と羽生選手のハーモニーを堪能できます。
メダルを持って羽生結弦がアイスショー仙台に帰ってきた!トゥギャザー・オン・アイス2014の動画 [羽生結弦 動画 アイスショー仙台]
全国各地のアイスショーに飛び回っている羽生結弦選手ですが、とりわけソチオリンピック後に仙台で行われた「トゥギャザー・オン・アイス2014」は、感慨深かったことと思います。
6月13日に開催されたこのアイスショー。
羽生選手は、オリンピックのエキシビションでの滑った「白鳥の湖」を披露し、4000人のファンを沸かせました。
また仙台在住のアーティスト『MONKEY MAJIK』の生演奏による「Change」は、ジュニア時代に滑ったことのある曲。
今回はさらに大人の色気を増し、ポーズやジャンプを決めるたびに客席からは黄色い声があがっていました。
オリンピックの後に地元・仙台で滑るのはこれが初めて。
4月に仙台市内で行われた凱旋パレードには9万人を超えるファンが集まるという、異様な人気を博しました。
「金メダルを獲ってきました!」
仙台の、そして全国のファンに、あらためてメダルの報告をした羽生選手。
観客は、オリンピックで輝かしい活躍を見せた羽生選手をスタンディングオベーションで称えます。
「お客さんが本当にあたたかくて、滑りやすかった。仙台人として誇りに思います。みなさんの前で滑れて本当に嬉しい!」と喜びをあらわにします。
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さらに、羽生選手が小さい頃からずっと憧れていたロシアのプルシェンコ選手からの花束贈呈に、満面の笑みをこぼしていました。
オリンピック王者となっても、地元への感謝の気持ちを忘れない。
こういった姿勢も、羽生選手が評価される一因なのでしょうね。
↑アイスショー仙台での「Change」の動画。羽生選手、地上でもかなりのダンスの腕前を発揮できそうですよね。
アイスショー大阪でみせた”羽生結弦に元気をくれた曲”の熱演動画! [羽生結弦 動画 アイスショー大阪]
フィギュアスケートは、他のスポーツとは少し異なり、順位を競う大会だけが仕事ではありません。
エキシビションやアイスショーなど、観客を目で楽しませる舞台でも活躍する選手たち。
競技のときとはまた違った楽しそうな表情と、大人数での華麗な舞が見られるのが魅力です。
羽生結弦選手がアイスショーでよく選ぶのが、指田郁也さんの「花になれ」という曲。
東京、大阪、名古屋で開催された2014年のスターズオンアイスでも披露しています。
この「花になれ」は、羽生選手が落ち込んでいるときやふさぎ込んでいるときに元気をくれた曲なのだそう。
「ぶつかったっていいんだ 泣いたっていいんだ」
毎日厳しい練習をしていても、ときには結果に繋がらないこともあります。
泣き虫だという羽生選手は、人間の弱い部分を認めて包み込んでくれるような歌詞に共感し、励まされていたのでしょう。
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演技はその歌詞を身体で表現したような、苦悩を抱えながらもそれを克服し、カタルシスへと向かっていく1人の人間のドラマが伝わってきます。
ときおり羽生選手が口ずさんでいる様子も見られ、自分自身と歌詞を重ね合わせて、繊細に、しかし心の内にある強い想いをめいっぱい伝えようという気持ちで滑っているのを感じます。
東日本大震災のとき、目の前で生まれ故郷が崩壊していくのを見ていた羽生選手。
どんなに苦しいときもあきらめないで立ち続ければ、いつかまたふるさとが笑顔に包まれる。
羽生選手は、そんな花になりたいのかもしれませんね。
↑アイスショー大阪での「花になれ」の動画。特に2番の始まりは目頭が熱くなります。
2014オリンピックで夢を叶えた羽生結弦!金メダルを決めた瞬間の「OMG!」動画 [羽生結弦 動画 2014オリンピック]
羽生結弦選手は、小さいから既に才能の片鱗をみせていました。
まだ幼稚園児だった頃、普通ならば小学生で習得する1回転半ジャンプを跳べるように。
転んでも転んでも果敢に挑戦する小さな羽生少年は、スケートを始めて2年足らずで2回転サルコウまで跳んでみせたといいます。
羽生選手の一番最初のコーチである山田真実さんは、「自分の世界に入り込み、音楽を表現する不思議なスター性があった」と、評価。
「でも全然言うことを聞かなかった(笑)」という羽生選手は、レッスン中も友達とはしゃいでばかりだったそう。
レッスンをサボっては、「やりたくないのならスケートをやめなさい」とご両親から叱られることもしばしば。
順調に才能が花開いていったかのように思える羽生選手ですが、実はなかなかきれいな3回転が跳べずに悩んでいた時期がありました。
周りの人たちが次々と3回転を成功させていく中で、自分は跳ぶことができない。
まったく跳べなかったノービスの大会では、試合後に大泣きしたこともあったといいます。
「みんな跳べてるのに、なんで僕だけ跳べないんだ!」
幼稚園のときからジャンプを習得していた羽生選手は、そのことが悔しくてたまらなかったそうです。
食が細いこともあってか、身体の成長が遅かった羽生選手。
うまくジャンプが切れず、身体が気持ちについていくことができませんでした。
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しかし小学校高学年になって身体が出来上がってくると、”ジャンプの天才”は、再び才能を発揮し始めます。
小学生のうちに3回転は全て跳べるようになっており、卒業文集にははっきりと「五輪で金メダル」と書かれていました。
小学生の頃から夢見たオリンピック金メダル。
20歳を目の前にして、夢は叶いました。
今度は成人してからの新たな夢を追いかける番です。
↑2014オリンピックで金メダルが決まった瞬間の動画。「Oh my God!」と言いたくなるのも当然です。夢がかなった瞬間ですね。
同郷のアーティストが語る羽生結弦のLINE内容とは?&NHK杯2014sp動画 [羽生結弦 動画 2014sp]
イヤホンマニアといわれている羽生結弦選手。
18万のイヤホン(!?)に、プラス4万円で耳の型をとる特注仕様というこだわりようなのだとか。
羽生選手はよく本番前に音楽を聴いている場面が見られますが、それだけ音楽による精神の集中が重要だということなのでしょう。
いくら重要でも私にはとても買えません…^^;
出身地の仙台をとても大切に思っている羽生選手には、同じく仙台出身のアーティストやアスリートとの交流が多いそうです。
「パンダライオン」という5人組ミュージシャンのボーカルであるKIMさんは、羽生選手が自分たちの音楽を「震災後に聴いて心の支えにしていた」と聞いて、2012年の羽生選手の誕生日にCDと感謝の言葉を綴った色紙を贈ったのだといいます。
そこから羽生選手とKIMさんの交流が始まりました。
2014年の1月には、『夢に届くキセキ』という羽生選手を応援する曲を贈ります。
始めと終わりにスケートの滑る音を入れるなど、細かい部分に想いのこもった曲をプレゼントされた羽生選手は、「泣いちゃいました」と感謝を述べたそうです。
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KIMさんは仙台の仲間と共に「羽生結弦応援プロジェクト」を立ち上げ、応援動画を配信するなど羽生選手を支える活動を積極的に行ってきました。
金メダルを獲った羽生選手からは「すてきな曲をありがとう!こんなに素晴らしい曲を作って頂いて、金メダル獲らないとまずいなって思いました」というお礼が届いたといいます。
KIMいわく「羽生選手のLINEはかわいい絵文字が多いですよ」とのこと。
このギャップもまたたまらないポイントですね(笑)
↑中国杯でのケガが完治しないまま出場したNHK杯2014SPの動画。このときもKIMさんの曲から元気をもらっていたのでしょうか?
オーサーコーチがスケート連盟に怒りの発言!ケガをおして出場した羽生結弦の中国大会2014フリー動画 [羽生結弦 動画 2014 中国大会]
2014年11月に開催された中国大会で、練習中に衝突事故を起こしケガを負った羽生結弦選手。
それでも押し切って大会に出場し、苦しい中でも2位をつかみとりました。
ただ、羽生選手らしくないミスが各所に見られ、表彰台には上がれたものの心につかえが残ります。
これらのミスは、オーサーコーチの練習メニューを十分にこなせなかったことが原因ではないかとみられています。
あの努力家の羽生選手が、練習をサボっていたの?とお思いになるかもしれませんが、実は問題は過密すぎるスケジュールにあったのです。
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ソチオリンピック金メダルという輝かしい成績を残し、なおかつそのルックスや性格からファンが非常に多い羽生選手。
日本スケート連盟は、前シーズンの疲れも残っているだろうにも関わらず、わずかなシーズンオフの間に50以上ものアイスショーに出場させていました。
もちろん、アイスショーへの出場を承諾したのは羽生選手本人でしょうが、国民の期待に応えたい気持ちから断りづらかった部分もあったのかもしれません。
練習拠点のカナダと、日本で行われるアイスショーを行ったり来たり。
当然練習時間は減り、来シーズンに向けてコンディションを整える余裕もなくなります。
このことに誰よりも怒りを抱いたのが、羽生選手のコーチであるブライアン・オーサー氏でした。
「こんなことを続けていたら、トレーニングができないばかりかユヅル自身が壊れてしまう。今、ユヅルと私は新しい目標に向かって歩み始めたばかりなのに、その夢を摘んでしまうようなことはやめてくれ」
羽生選手に過酷なスケジュールを要請するスケート連盟に対し、オーサーコーチはきっぱりとこう言い放ちました。
若い才能を潰さないためにも、私利私欲のためにフィギュアスケート選手を連れまわすのはどうかやめて頂きたいですね。
私たち観客も、過剰に羽生選手を求めることはひかえたいものです。
↑中国大会2014のロシア語解説のFS(フリースケーティング)動画。
羽生結弦の次の敵は?世界選手権2014で見せた逆転動画!
昨年3月、さいたまスーパーアリーナで行われた世界選手権大会2014。
羽生結弦選手はSP(ショートプログラム)で3位となり、1位の町田樹選手を追いかけるかたちでスタートを切りました。
1日の休養日を置いて始まったFS(スリースケーティング)。
羽生選手は冒頭にソチオリンピックで失敗した4回転サルコウを決め、続いて4回転トーループも危なげなく着地しました。
そしてジャンプの基礎点が1.1倍になる後半にみせたトリプルアクセルとトーループのコンビネーションジャンプは、なんと基礎点10点以上にもなる大技。
それを3つも組み込み、結果191.35点で町田選手を僅差で抜かし、見事優勝をつかみとりました。
世界選手権の優勝により、2013-2014シーズンでオリンピック、グランプリファイナルと合わせて3冠を達成し、これ以上はないと思えるほど多くの賞賛が送られました。
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羽生選手がこのシーズンで表彰台に上がった回数は7回。
ソチオリンピック、グランプリファイナル、全日本フィギュアスケート選手権、フィンランディア杯、そして世界選手権の5つで優勝するという圧倒的な強さをみせました。
でも、実は1シーズンに羽生選手が5つの金メダルを獲ったのは初めてのことではありません。
2009-2010シーズンには5つのジュニア大会で優勝を飾った栄光があるのです。
ほとんど負けなしかのように見える羽生選手。
これからは闘うのは、周りのライバルたちではなく、自分自身になっていくのかもしれません。
↑世界選手権2014のFSの動画。見事な逆転の演技です。
実は泣き虫!羽生結弦のソチ優勝は予想より早かった?ノービス時代の写真も [羽生結弦 写真 ソチ]
ジュニア時代から才能の頭角を現していた羽生結弦選手。
羽生選手を4歳の頃から知っている佐野稔さんは、羽生選手を「泣き虫」と言っています。
お姉さんと一緒にリンクに来て、泣いてばかりいたという羽生少年。
その頃は、まさか彼がオリンピックで金メダルを獲るような選手になるとは、みじんも思っていなかったそう。
しかし数年後、ノービスの競技会に出場した羽生選手を見て、その成長ぶりに驚いたといいます。
以前は、羽生選手の金メダルは、今回のソチではなく23歳になる次の平昌オリンピックで実現すればいいと思っていたそうです。
しかし2013年のグランプリファイナルを見てその考えは変わりました。
この年のグランプリファイナルでカナダのパトリック・チャン選手に勝ったことはが、「ひょっとしたらソチでも」と思わせる要因となったのです。
まだまだ若い20歳。
オリンピック時には19歳の若さで頂点に立った羽生選手には、ぜひ2連覇を目指して欲しいところ。
今回のソチでは2種類の4回転ジャンプを組み込んでいましたが、優勝を狙うだけならば1種類でもよかったはずです。
さらに、同じく羽生選手のコーチ、オーサー氏の教え子であるフェルナンデス選手も、2種類の4回転を入れています。
わざわざ難しいことにチャレンジするということは、次のオリンピックでは4回転の数が勝敗の決め手となる可能性を暗示しているのかもしれません。
4回転トーループにサルコウ、さらにもう1種の4回転が加わるとなれば、男子フィギュア界の技術革命が起こり得るかもしれませんね。
ただ、あまり上を目指すばかりに無理をして、ケガをしてしまうことだけは気を付けて頂きたいところです…。
↑何気ないポーズも可愛い羽生くん。
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かわいい×かわいい=超かわいい!浅田真央と羽生結弦の仲良し写真 [浅田真央 羽生結弦 写真]
日本のトップフィギュアスケーターが世界で活躍しているのを見ると、本当に誇らしく、精一杯応援したくなりますよね。
引退された選手の中にもすばらしいスケーターはたくさんいらっしゃいますが、特に人気が高いのは羽生結弦選手と浅田真央選手でしょう。
2人のスケート以外の共通点といえば、優しげで大人しそうな外見でしょうか。
実際は「羽生くんはSっけがある(織田信成さん談)」「真央ちゃんは天然(鈴木明子さん談)」だそうで、テレビで見ている限りではわからな部分もあるようです。
フィギュアスケートの選手たちは仲が良いとの噂をよく耳にします。
特に羽生選手と浅田選手は日本の人気トップということもあり、エキシビションなどでとても仲の良い様子を見せると、「あの2人、ひょっとして付き合っているのではないか?」とファンの間でささやかれることもしばしば。
上位5人が出場できるソチオリンピックのエキシビションでも、高橋大輔選手とともに浅田選手も推薦で出場できることになり、その練習風景では手を繋いだりと楽しそうな様子が見られました。
確かに、お似合いですよね。
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ソチオリンピックの浅田選手のFS(フリースケーティング)演技前、「真央ちゃんがんばれ~!!」と羽生選手が声援を送ったと話題になったこともあります。
(真実は別のファンの声だったそうですが。)
浅田選手の人気は日本だけにとどまりません。
ロシアのプルシェンコ選手は、浅田選手がスケート競技を離れて残念に思っているのだそう。
ハードな練習に追われる日々に、ときには休養も必要です。
そのことを理解しながら、プルシェンコ選手は「マオが復活するとはフィギュアスケート界にとってもものすごく重要なこと。少し休んで、必ず戻ってきて欲しい」との言葉を送っています。
またプルシェンコ選手は、6月に仙台で行われた羽生選手の凱旋アイスショーで共演した際に、羽生選手に「自分のジャンプを見て欲しい」と言われたというエピソードも明かしました。
最も難しいと言われる4回転とトリプルアクセルのコンビネーションジャンプを見て、かつての世界王者はアドバイスとともに「キミなら絶対できるはず」とエールを送ったそうです。
羽生選手と浅田選手。
彼らには、観客だけでなく周りの人をも引きつける魅力があるのでしょうか。
↑サンタコスの羽生くんと真央ちゃん。
【フィギュア仲良し写真】メディアが羽生結弦を追い詰める?韓国キム・ヨナも無言の重圧に… [羽生結弦 写真 韓国]
12月に20歳を迎えたばかりの羽生結弦選手。
3年後に韓国で開催される平昌オリンピックのときは23歳になります。
選手として今まで以上に多くの経験を積み、肉体的にも精神的にも成熟期となっていることでしょう
。
多くのプレッシャーや若手ライバルの台頭、加え多忙なスケジュールで体調管理も今まで以上に必要です。
こういった精神的な重圧は、オリンピック王者として誰しも抱えることでしょう。
かつて、同じような状況に悩まされる選手がいました。
2010年のバンクーバーオリンピックの女子フィギュアスケートで優勝した、韓国のキム・ヨナ選手です。
実は、キム選手は羽生選手と同じくブライアン・オーサーコーチの教え子。
両チャンピオンを指導してきたオーサーコーチは、「韓国のマスメディアはいつも大げさで、大変なプレッシャーをヨナにかけます。」と、メディアが1人の選手を苦しめている状況を悲観します。
羽生選手も、中国杯での衝突事故や手術のことなど、ファンのみならず、マスコミが過剰ともいえる反応を見せていました。
また、アジアの選手に多くみられるという「苦しくて辛い練習を数多くこなすほど良い」という考え方も、アスリートを追い詰める原因になるといいます。
キム選手や羽生選手も例外ではなく、「練習しすぎる」ことがかえってケガを引き起こしやすく、結果マイナスになってしまうのです。
キム選手は「練習量を減らすこと」を課題としていたこともあったとか。
そしてもう1つ、金メダリストに求められるのは、「王者らしくしなければならない」ということです。
バンクーバーオリンピックで引退することを考えていたというキム選手。。
しかし、国民の無言のプレッシャーを感じ、引退は許されない雰囲気だったそう。
銀メダルだったソチオリンピックのキム選手を見たオーサーコーチは、「ヨナは明らかに義務的に滑っていた」といいます。
羽生選手がこれからさらに上へのぼっていくには、今のようにがむしゃらに練習するだけではなく、オーサーコーチいわく「シーズンのピークを意識して調節する」ことが必要になっていくのだそうです。
すべての試合、すべてのアイスショーで全力をみせるのではなく、ミスも受け入れること、リラックスして臨むことが大切なのだとか。
”完璧”を目指しがちな羽生選手。
しかし、そのことがかえって自分を痛めつけることになります。
韓国での平昌オリンピックを、ケガなくベストなコンディションで迎えるためにも、自身の意識の持ち方を変えていく必要がありそうです。
↑お茶目なポーズの羽生くん。
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